「子どもが笑えば大人が笑う、おとなが笑えば子どもが安心する」そんな想いが2024年北九州の夏を盛り上げた!

「北九州昭和夏祭り」仕掛け人は平成生まれの熱い男子コンビ!

副編集長ニシヤマけいおん(以下N)
まだまだ興奮冷めやらぬ状況かもですが、お忙しい中にお時間をありがとうございます!

新井(以下A)、藤田(以下F) 今日は宜しくお願いします!

新井 啓助さん(左)、藤田 一成さん(右)

初日は武内市長も駆けつけて声援を送った

平日の夜も日増しに来場者が増えた

N 今年の夏はとんでもないことを実現されましたね!「北九州昭和夏祭り」SNSでは開催前はもちろん、開催中にどんどん投稿が増えて行って、踊っている人たちや盛り上げるスタッフの人たちの姿を何度も目にしました。その拡散もそうですが、何といっても9日間ぶっ続けで開催する」「毎日必ず盆踊りタイムがある」というコンセプトは前代未聞でした。でも、ふたを開けてみると大盛況で、老若男女、外国の方も多くて、のべ14万人も動員されたそうですね!!

「なんでこのお祭りをやろうと思ったのか?」たぶん多くの人が不思議に思っていると思うので・・・

A 僕自身が経営している会社の理念に「子どもが笑えば大人が笑う、おとなが笑えば子どもが安心する」というのがあって、そんな世の中を創りたいなと思っているんです。僕はもともと小学校3年の時に父を亡くしていまして、母親とも一緒に住んだことがなくて、家族の思い出ってのが全然なくて。父は病気がちだったんですけど、1度だけ庭で豆まきをやってくれたんですよ。それが楽しかったんでしょうね、どうしても頭から離れなくて。だから、自分の子どもに対しても、地域の子どもたちに対しても、楽しいだろうなって思うことはなるべく全部してあげたいなと思っていて。

また、去年、自分の娘と息子でお祭りに参加したことがあったんですけど、大人たちが盆踊りをしているのを楽しそうに子ども達が見てて。でも関係者しか中に入れなかったんです。だから僕も一緒に沿道で踊ったんですけど、その時ふと、「地域の人たちも、もっと一緒に踊れたらいいのに」と思ったんです。あと、別の地区の盆踊りに参加したとき、おじいちゃんおばあちゃんばかりで、他のお客さんが全然いなくて活気がなく・・・もう自分でやるしかない、と思ったのがきっかけでしたね。見る側だけじゃなくて、みんなで参加できる祭りにしたいなと。

N ご自身の幼少期のことや、ご自身のお子さんたちとの関りの中で、自分でやるか!という気持ちになっていったんですね。

A そうです。もし自分が子どもの時に、父親と母親が目の前で楽しそうに踊っている姿を見ていたら、本当に一生の思い出だっただろうな、というのが僕の中にあったので、そういう環境をもう自分で創りたいなと。それで藤田と一緒に育ててきた感じです。

F 僕は(会場になった)勝山公園の運営をしている造園工事業者です。行政から依頼を受けて公園を作って、メンテナンスして、運営するのが造園屋さんのお仕事なんですけど、ずっと「公園をもっと使ってほしい」という想いがあったんです。日本の公園って、幼児向け・高齢者向けに設計されていることが多くて、僕ら30代の親世代とか40代、50代が使いたい公園は多くないと感じています。というのも、僕は海外の公共施設を見るのがすごく好きで、ロンドン、東南アジア、アメリカを見たんですが、本当に全世代が公園を使っている姿を目の当たりにしてきました。

日本はクレーム社会なんですかね、若い人が集まりやすい公園にしてしまうと、何か問題が起きたときに、近隣からクレームが入るのは役所ですから、無意識に「できるだけ人を集めない設計」になっているのではないかと想像しています。パトロールが必要になるとか、デメリットばっかり連想しちゃうんだろうなと。

N うーん、(今はそうじゃないと思うが)北九州は歴史的にも、そういう思考になってしまう過去があったかもしれませんね。

F なので、スゴイ勿体ないと思っていたので、この(勝山)公園を全世代が活用して欲しいし、できることがあったらやりたいと考えていました。新井と話してると「これならみんなに使ってもらえる!」と思えたので、じゃあやろうと。