はっきり言って、マラソンに対するイメージは良くありませんでした…

地元主催のマラソン大会が始まった時も他人事

市民ランナーはお金払ってわざわざ苦しい思いをするだけだから。高校生の時の持久走大会5kmでさえ辛かったのに、40歳も過ぎて42.195kmとかあり得ないし…。

2年前の僕に出会うことがあれば、晴れてサブ5となれた今となっては「もったいないな あ」の一言を浴びせたい[笑]。

勤め先でマラソン大会の裏方をやることとなり、たくさんのランナーを見送っていました。社内からも参加する者も割といて、少しずつマラソンが身近になってきた実感が ありました。 毎年参加している上司に、何故そこまでして参加するのか、お金を払ってわざわざ苦しい 思いをしに行くのか聞いてみました。

「一万円でひたすら自分を賞賛し励ましてくれる世界が、他のどこにある?」

その言葉にハートを撃ち抜かれ、昨年大会から参加することに

前回大会は、2月の本番に向けて10月ぐらいから練習を始めした、が、とにかくきつい。 死にそう。5キロが月ぐらいの距離に感じる。

格好から入るタチの僕は、初めてスポーツショップでアドバイスを受け、ちゃんとしたシ ューズを買いました。普通のスニーカーとは全然違って、クッション性が高く、何かマジ になってきた感じ。その物パワーで少しずつ走り出しました。

年末年始の堕落しがちな時も、なるべく早く走るようになりました。初のフルマラソンが とにかく不安で、制限時間いっぱいを使い切って完走することを目標にしました。走り切 れればそれでよし。

初めてのフルマラソン、制限時間6時間に対して5時間28分という結果

終盤10キ ロはとにかく膝や股関節、足首やすねなど、あらゆる部位が悲鳴をあげて、歩くことも辛 い痛みとの戦いでした。 大会が終わった後も、2ヶ月は歩くだけでも痛みがあって、もう二度と走れない脚になって しまったのかと、本気で思いました。少しずつ痛みが引いてくるのを待っている時、何故そう思うか考えると、また走りたいと 思っていたからなのでしょうか、回復と同時にまた走り始めました。

月に50キロぐらいで すが、習慣化してきたのでしょうか、意地だったのでしょうか、それとも楽しくなってき たのでしょうか、今でもわかりません。

気づけば大会前には1ヶ月は100キロ超を走るまでに

前回大会で満身創痍になったから、底力を付け て、あんな思いをしないようにと。 いつのまにか、キロ7分半が7分になり、意識しなくてもキロ6分半は出せるようになりま した。このペースを最後まで保てたら 4時間35分ぐらいですかね。でも必ず後半バテるから、もう少し走力が欲しいと思い、キロ6分を10キロまでなら出せるようになりました。

後半は必ずバテるのに、大会本番は、周りのランナーや応援に引っ張られテンションが上 がり、いつのまにかペースアップするランナーが殆どです。

人は人、自分は自分、普段は 周りに流されるタイプの僕ですが、この時だけは温存に徹してキロ6分半を死守しました。

先輩ランナーからいただいた名言「折り返しは35キロ地点」

その言葉を噛み締めながら走りました。

そう考えると、実際に35キロ到 達時には後わずか7キロ!これなら頑張れる!! 流石に30キロ過ぎてからは何度も歩きました。が、小出しにして、なるべくタイムに影響 しないようにコントロールし、脚のリフレッシュに務めました。

沿道の応援は、本当に心に沁みます

きっと、誰もいないまっすぐな道を走れって言われ てもムリ。知らないおばあさんや子供達が頑張れ頑張れ言ってくれて、お菓子や飲み物を 出してくれたり、湿布スプレーを貸してくれたり、それはもう「1人じゃないんだ感」が凄 くて、感謝の気持ちしか出てきません。

最後の2キロぐらいは元のペースで頑張ろうと、痙攣し出した太ももを叩いて走りました。 

人は人、自分は自分。 だけどやっぱり人は有難い。そう感じれるから楽しいのかなと、すこーしだけ思うことができました。

その他、「行こう住もう」による経験者に聞く北九州マラソン記事もチェックしておこう。あわせて、北九州の小倉エリア情報もお見逃しなく。

ちなみに、スポーツの前後に欲しくなるお肉関連の記事はもう読みました?